皆さまから 心優しいコメントをいただいたまま
すっかりご無沙汰してしまって 失礼いたしました
おかげさまで もっとも恐れていた
三ちゃんの手術は 回避されました
でも それよりも何よりも
このところずっと 「楽になりたい」 と
たびたび漏らしていた 三ちゃんが
「やっぱり 気ぃの変わった まぁだ頑張ることにした」
と言ってくれたことが
何もしてあげられない たびたまには
いちばん うれしいことでした
きっと 皆さまからいただいた
温かい 励ましの 愛の波長が
三ちゃんの魂に 届いたのだと思います
ありがとうございます
代わりに(?) というわけでもないのですが
いま 《先生》が 入院しています
こちらは 命に関わるような病気ではないのですが
本人としては 病気で手術+入院 というのは
生まれて初めてのことなので
かなり 強烈な体験になったことと 思います
これを機に もう少し
病人の気持ちを 思いやれるようになったりとか
健康のために 自分で努力したりとか
するようになってくれれば いいのですが・・・
ミャンマーのサイクロン 中国四川省の大地震に続き
岩手・宮城の地震と 多くの人命を奪う 天災が続いて
被害に遭われた方 大切な人を亡くされた方の
お気持ちを思うと
いま恵まれている日常を 粗末に生きることが
いかに愚かで 罪深いことであるか・・・
そんな思いを ずっしりと感じています
ましてや 自分の人生が 思い通りにならないことを
与えられた条件や ほかのだれかのせいにして
八つ当たりで 他人の命を奪って
それで鬱憤[うっぷん]を晴らすなんて
こんな悲しいことが あるでしょうか
秋葉原の事件のとき たまたま居合わせて
救護活動に当たられた 医師の方が
その後 インタビューに答えていらして
瀕死の人々のために 一生懸命
救護に当たっていた 一般の人々のことを
「医者なんかより 彼らの方がずっとすごい 尊い」
と おっしゃっていました
ところが 一方では
「目の前で 死にそうになっている人に ケータイを向け
写真を撮り ヘラヘラ笑いながら 電話したり
友だちと話している人たちが 周りに大勢いた」
とも その医師は 震える声で おっしゃっていました
それを聞いて しばらく前に
お葬式で 棺の中に横たわっている ご遺体を
無遠慮に ケータイで撮影する人が 最近増えた
という話を聞いたことを 思い出しました
もしかすると ひとを殺すのは
憎しみではなく この無関心なのかもしれない
他者の身になって 考えることができず
自分の気持ちだけを 深く深く 追求しては
反芻[はんすう]する
そんなことを 繰り返しているうちに
ひとは かえって 自分自身の心にすら
無感覚になってしまうのかもしれない
そんなことを 考えています

この言葉がなによりうれしいです。
まわりにいる人たちを 悲しませないことだけでも、生きている意味はあると思います。
本当にそうです 自分のことも他人のことも
生きてる意味がないと思い込んでいる人が 今 なんと多いことでしょうか
素敵な言葉をありがとう
自分から頑張る気になった。これが何よりも素晴らしいことですよね!気持ちさえ元気になれば、きっと光がいっぱい入ってきて、良い方向に向かっていくと信じます。
先生も入院されたとのことですが、命に別状はないということで安心いたしました。それもきっと何か意味があることなのでしょうね。 命は本当に尊いものだと思います。
携帯で写真を撮る人がいると聞いて、私は非常にショックを受けました。
心が麻痺してますよね。
恐ろしいです・・・。
本当の命の素晴らしさ、きちんと教えてけるような日本社会になっていただきたいです・・・。
撮る方には 撮りたい理由があるのでしょうが
その「理由があるから撮っていい」という感覚が 怖いと思います
先生は 命に別状がないどころか 術後メキメキと回復し
もう すぐにでも退院できるとか言っているそうです
せっかく痛い目にあったのに これで甘く見やしないか どうも心配です
今後のためにも 病院でしっかり修行してほしいところなのですが(笑)
なにはともあれ、自分で「頑張ることにした」三ちゃんに、たくさんいいことが待っている事をお祈りします。
「頑張ることにして、良かった」って言えるように、、、
12月でしたっけ 早いですね・・・
今ごろは 新しいお仕事で 大忙しかもね
あちらで どんなお仕事 なさっているのかなー(^ ^)
頑張ることにした三ちゃんには さっそく 来週から《先生》のお世話が待っています
ご苦労さん です(笑)
三ちゃんのこと、読んで安心しました。
きっと良いほうへ向くと信じていましたから・・・とっても嬉しいです。
先生の手術も無事済んでの入院なのですね。
痛かったり不自由な経験をされたのでしょうね。
きっと、たびたまさんの願う『思いやれるように~』とか『健康のために自分で努力~』とか思っていますよ。
たびたまさんもお元気で良かったです。
ブログを通じて交流のあるオヤジな私さんが、『命が軽くなった』と書いておられました。
秋葉原の事件での医師のお話・・・考えさせられます。
『もしかすると ひとを殺すのは
憎しみではなく この無関心なのかもしれない』
たびたまさんのこの言葉に・・・悲しいけど納得してしまった私です。
《先生》は おかげさまで きょう退院です(^ ^)
「命が軽くなった」 ――なぜでしょうね?
こんなに 「人の命」の尊さが叫ばれている時代
個人が尊重されているはずの時代に
あっけないほど簡単に 自分の命を断ち 人の命を奪う
主君やお国のために命を捧げるのが 当たり前の時代には
「生きたい」「大切な人を守りたい」 という思いは
もっと切実で 強かったのではないかしら
疎開児童の日記を読みながら そんなことを考えています
三ちゃん、手術しなくてすんでよかったですネ。
きっとたびたまさんの願いが通じたんじゃないかなって思いました。
先生も入院とたびたまさんも続いて大変ですね。。。 秋葉原のお話…
救護に当たった方もおられたんですね。
ヒロヒロはおどおどと何もできないかもしれないので、
そういう方には本当に頭が下がります。 その一方…ヒロヒロが感じた事を正直に書きます。
笑ってみてたり、携帯をむけたり、
そういう人がいたって話を聞いて、気持ち悪いって思いました。
眼の前で人が死ぬかもしれない。
それを眼の前にして、そういう行動をとれることが、
すごく気持ち悪いって思いました。
どうして、そうなったのかな?
って見ず知らずの人だから目の前で死んでも平気?
生死を境にしてる人を携帯の画像にとって何が楽しいの? ああ、なんか何でだろう?何でそんな風になってしまったんだろう?って。
変な事を書いてしまって、ごめんなさいです。
昨日、結構、引きずって考えてしまいました。
と同時に 自分も さして違いはないかも? とも思ったんです
情報が溢れ 垂れ流しされる時代・・・
どこかで事故や事件が起きるたびに
自分の生活を中断するわけにはいかないのも事実だけど
「自分の関係ないところ」で起きてる「他人事」に 慣れてしまって
人の痛みに 無感覚になってしまわないように
気をつけたいと思いました
読むからに痛そうでしたから。。。
自発的に、
「がんばる」と言われていたのも
よかったですね。
最近、祈りは通じる、
という話を聞く事が多いので、
もしかしたら…なんて考えてしまいました(笑)
>人を殺すのは憎しみではなく、無関心
僕もそう思います。
犯人より、その人達の方が問題だと思ってます。
その人達が犯罪者を生み出していると思ってます。
しかし、その人達もまた、
誰かに生み出されたわけで。。。
自分が生み出す側にならないよう
気をつけたいです。
そして、素人なのに懸命に救護する人達。
僕も呆然と、何をしたらいいか分からず立ち尽くしそうなので、
そういう存在になりたいです。
コメントありがとうございました?~
僕も、友人は心残りはない、
若くして亡くなったからかわいそうという訳じゃない
と思ってます。
ただ、改めて生き方について考える機械を貰ったのに
相変わらず小さな事に悩んでいる自分に
失望してしまいます(笑)f^_^;
昼頃に一度コメント入れたのですが、
投稿できませんでした…
今回は念のためコピーしておこう。
さぁできるかな
>犯人より、その人達の方が問題
犯人と無神経な野次馬の心の根底には 共通するものがあると思います
(でもきっと あとで 自分で嫌な気持ちになって反省した人も
きっと少なからずいると思う そう信じます)
>しかし、その人達もまた、
>誰かに生み出されたわけで。。。
たびたまは 「自己責任」という言葉を 忘れたくないです
条件が不利だったり 被害を受けることはあっても
「犠牲者」になるかどうかは 自分で決めることです
秋葉原の犯人は 自分を「社会の犠牲者」と決めつけ
自分を「ブサイク(?)」である(がゆえに恋人ができない)
すなわち宿命の犠牲者である と決めつけていたようです
すぐにキレる暴力的な人と つきあいたいと思う女性などいないのにね
母親や社会のせいにして 自分を誤魔化すのをやめて
自分の実像と真剣に向き合っていたら きっといつかそれに気づいたでしょう
三ちゃんの気持ちが前向きに変わったのは何があったのか?
聞きたいですね~
人間の気持ちって不思議
でも先生が入院とは・・・
何かと気がかりなことが多いですね
健康のありがたさを実感するこの頃です
もうちょっと入っててくれたら 三ちゃんは助かるんだけど ←本音(笑)
入院希望者が列をつくって待ってるので ワガママは言えません
健康は 自分で守らないとね! お互い気をつけましょう♪