あなたは 覚えてないかも しれないけれど
泣いてるあなたを 抱き上げて
一所懸命 あやしてくれたひとが いるんだよ
おむつを濡らして 気持ちが悪かったとき
お尻を拭いて きれいな 乾いたおむつに
取り替えてくれたひとが いるんだよ
名前も知らない 赤の他人の
小さな小さな あなたを見て
「可愛い赤ちゃん!」
そういって にっこり笑ってくれたひとが いるんだよ
お腹を空かせたあなたに ごはんを食べさせてくれたひと
汚れたあなたを お風呂に入れてくれたひと
道路に飛び出そうとしたとき 叱ってくれたひと
そのひとのために そのひとたちのために
きょうも あしたも 力いっぱい 生きるんだよ
生きてる意味が わからないなら
ただ そのひとのために 生きるんだよ
あなたを 愛してくれた だれかのために
2008年6月アーカイブ
皆さまから 心優しいコメントをいただいたまま
すっかりご無沙汰してしまって 失礼いたしました
おかげさまで もっとも恐れていた
三ちゃんの手術は 回避されました
でも それよりも何よりも
このところずっと 「楽になりたい」 と
たびたび漏らしていた 三ちゃんが
「やっぱり 気ぃの変わった まぁだ頑張ることにした」
と言ってくれたことが
何もしてあげられない たびたまには
いちばん うれしいことでした
きっと 皆さまからいただいた
温かい 励ましの 愛の波長が
三ちゃんの魂に 届いたのだと思います
ありがとうございます
代わりに(?) というわけでもないのですが
いま 《先生》が 入院しています
こちらは 命に関わるような病気ではないのですが
本人としては 病気で手術+入院 というのは
生まれて初めてのことなので
かなり 強烈な体験になったことと 思います
これを機に もう少し
病人の気持ちを 思いやれるようになったりとか
健康のために 自分で努力したりとか
するようになってくれれば いいのですが・・・
ミャンマーのサイクロン 中国四川省の大地震に続き
岩手・宮城の地震と 多くの人命を奪う 天災が続いて
被害に遭われた方 大切な人を亡くされた方の
お気持ちを思うと
いま恵まれている日常を 粗末に生きることが
いかに愚かで 罪深いことであるか・・・
そんな思いを ずっしりと感じています
ましてや 自分の人生が 思い通りにならないことを
与えられた条件や ほかのだれかのせいにして
八つ当たりで 他人の命を奪って
それで鬱憤[うっぷん]を晴らすなんて
こんな悲しいことが あるでしょうか
秋葉原の事件のとき たまたま居合わせて
救護活動に当たられた 医師の方が
その後 インタビューに答えていらして
瀕死の人々のために 一生懸命
救護に当たっていた 一般の人々のことを
「医者なんかより 彼らの方がずっとすごい 尊い」
と おっしゃっていました
ところが 一方では
「目の前で 死にそうになっている人に ケータイを向け
写真を撮り ヘラヘラ笑いながら 電話したり
友だちと話している人たちが 周りに大勢いた」
とも その医師は 震える声で おっしゃっていました
それを聞いて しばらく前に
お葬式で 棺の中に横たわっている ご遺体を
無遠慮に ケータイで撮影する人が 最近増えた
という話を聞いたことを 思い出しました
もしかすると ひとを殺すのは
憎しみではなく この無関心なのかもしれない
他者の身になって 考えることができず
自分の気持ちだけを 深く深く 追求しては
反芻[はんすう]する
そんなことを 繰り返しているうちに
ひとは かえって 自分自身の心にすら
無感覚になってしまうのかもしれない
そんなことを 考えています

最近のコメント