我が子を虐待して 死なせてしまった というニュースを
テレビで やっていて
「あんたは よう 殺されんやったなぁ」
三ちゃんが しみじみ 言いました
自分のことしか 考えられず
カッとなると 何をするかわからない 父親
衝動的にせよ うっかりにせよ
怪我をさせられても いつ 殺されても
おかしくないような 家庭だったのです
指の一本くらい 失っても
文句を言わない覚悟は いつもできていて
いざとなったら 自分の身は 自分で守れるよう
つねに 身構えていました
母は 母で
たびたまだけが 唯一
鬱憤をぶつけられる 相手でした
ひとつ間違えば たびたまを 道連れに
海に飛び込んでいたかもしれない
そんな 危うい時期も ありました
だから たびたまは 両親に
「産んでくれてありがとう」 と 感謝するのと 同じくらい
「殺さないでいてくれて ありがとう」 と 感謝しているのです
わたしたちが 生まれてきたのは
親から 幸せにしてもらうためでは ありません
産んでいただいたら それだけで
じゅうぶん ありがたいことなのです
もしも あなたが 我が子を どう育てたらいいか
悩んでいる 親の立場に いるのなら
せっかく この世に生まれるために あなたが力を貸した
その命を つなげることだけ 考えてください
その命は それ そのものが 尊いのです
あなたが あなたの力で
付加価値を つけてあげる必要なんか ないのです
あなたが創造したのではなく ただ 預かっている命
その命を 奪うようなことを どうか しないでください
輝く生命を ただ つないでください














やっぱり、たびたまさんはすごい人だなって、
思いました。 悩みつらい時期があったとしても、不平不満より感謝をもてるってすごいことだと思います。
だから、温和な考え方ができるだなぁって。
自分の心の狭さを痛感してしまいます…といっても、なかなか直せないんですけどね(汗) 私も命は親のものではなく、その持ち主のものだと思います。子供がいないので、わからない面もあるけど。
だけど、子供のことで悩むのは、やっぱり子供の事を大事に思ってる証拠でもあるんでしょうね。
私も自己否定をしてしまうタイプではあるんだけど、
この世にきっと価値のない人間なんていないだろうな。
って思います。
というか、価値をつけようと思うから、しんどいのかな?
本当なら何も人と比べる必要自体がないのかもしれませんね。って話がそれちゃったかも…。
ヒロヒロさんのおっしゃるとおり だと思います
価値を考えるときに 人と比べるから しんどいのです
価値とは つけるものではなく 存在そのもの
よりよい人間になろうと努力することで その価値は
いくらでも高めることができるし 人に評価してもらう必要もない
と たびたまは思っています
そのためにいろいろなことが制限されてきたけれど、生かされていることに感謝というのは 話しとしては、わかります。
(そのかわり、姉の生まれかわりという付加価値がつきましたけど)
だからといって「産んでいただいたら それだけでじゅうぶんありがたいこと」という気持ちには なかなかなれません。
少しずつでも、そんなふうに思える日に近づければいいな♪
たびたまは 純粋に 「生物学的両親」に 感謝しています
親になった人の方は 幼くして亡くした子や 流産してしまった子が
生まれ変わってくれることを 期待していたかもしれないし
ハンカチ王子とか上戸彩とかタッキーとかマルコメくんみたいな子が
生まれてきて欲しかったかもしれないけれど
ところがどっこい 相手がどんなつもりだろうが
生まれてきたのは このわたしなので(笑)
とどのつまりは 父になってくれた人の精子と
母になってくれた人の卵子と子宮を まんまと利用して
十月十日の間 他人の腹を借りて 宿主から栄養をもらって
無事 この世に 生まれさせて いただいたわけで・・・
畑の借り賃 肥料代 手間賃 長期間しんどい思いをさせたこと
そのすべてに ありがとう です(^ ^)
押しつけられた付加価値は
もらったふりをしておくもよし のしつけて返すもよし
そこから先は 自分の人生 自己責任
魂は 本来 自由なものだから(^ ^)
ただただ感動です。
人はみんな様々な環境の中に生まれてきますが、きっとそれそれが固有につかめるメッセージが隠されているのだと思います。
たびたまさんはしっかりとそれを見つけ、そして更に愛の思いへと昇華していった・・・
頭が下がる思いです。
たびたまさん、生きていてくれてありがとう!
そして、たびたまさんのお父さん、お母さん、たびたまさんのような素晴らしい人をこの世に送り出して下さって、本当にありがとうございます。
ホントに 生きていてよかったです
生きていなきゃ ブログもできませんからね~(笑)
「殺す!」って包丁つきつけられたこともあるし
海で溺れさせられそうになったこともあるし
「お前なんかもう要らん」と置き去りにされたこともあるし
そうこうしながらも どうにかこうにか 育ててくれました
もうちょっと 状況が悪かったら どうなっていたかわかりません
グレて 他人様にひどい迷惑をかけていたかもしれないし・・・
そうならなかった ってことは
大きな力で守られていた 恵まれていた ということです
感謝しています(^ ^)
親からは、幸せにしてもらうために生まれてきたのじゃない・・・
確かに・・・。
じゃぁ・・・なんで親子なんだろう。
命を授けてくれた・・・それだけ?
そのことに感謝・・・まだ無理かもしれないなぁ。
幸せにしてもらうことを求めてはいないつもりだけど、どこかで親の標準と比べてしまっているのかな。
親との関係・・・難しいです。
まさに その問いの中にこそ 学びがあると 思うのです
たびたま自身の場合で言えば
「何でよりによって こんなひとの子に生まれてきたんだろう」
人間として認められない 許せない 反吐が出る
そういう相手を それでも愛する 好きになれなくても愛する
それを学ぶために このひとの子として生まれてきたのかな
と 思っています
たとえ相手が自分の親であり 年長者であっても
場合によっては 自分の方が親のような心をもって
本当にその人のことを思って
温かく見守ってあげなければならない
そういうケースも あるように思う
親だから 子だから どう というのではなく
肝心なのは 肉親である限り イヤでも関わらざるを得ない
関係であるということ そこに 何らかの意味があるはず
――と たびたまは 考えるのです
>命を授けてくれた・・・それだけ?
(たびたまは 親から授かったとは思っていないのですが)
これについては ぴーさんのコメントへのレスに ちょっと書いています
いずれも あくまでも たびたまの考え
考え方は 人それぞれ・・・ 答えは その人の「時」が来れば
自然に見えてくるのではないかしら?
ルレちゃんには ルレちゃんの 学びのカリキュラムがあり・・・
「いま 頑張ってる」 そのことが 肝心要だと思いますヨ☆
私もそう思います。 命をつなぐこと。
命を尊ぶこと。 たびたまさんにしては短い文章だけどグッときました。
「命をつなぐこと 命を尊ぶこと」
秋葉原の事件に このことを 改めて考えさせられました