自分の頭と 力だけで
なしとげたことなんか 何ひとつ なかった
そもそもの最初から 準備していただいた 男親と女親
生まれ落ちて 生き延びることを 許してくれた環境
自分でつくることも 上手に使いこなすこともできないのに
使わせていただいている よくできた身体
分けていただいた 求めなかった思いやり
気づかせていただいた 見るつもりのなかった風景
教えていただいた 知りたいと思わなかった真実
何もかもすべて
自分より はるかに 大きな大きな 無限の愛と叡知が
無償で プレゼントしてくれたもの
どうしたことか この数か月
これまで 自分の歩んできた道が
ものすごく よく見えるのです
あの出来事に いったい どんな意味があったのか
どうして あの人と 出会わなければいけなかったのか
どうして あんな辛[つら]い思いを
しなければいけなかったのか
「あの人にさえ 出会わなければ・・・」
などと 過去には 後悔していたことの
本当の意味が いま はっきりと わかるのです
あの人や・・・ あの人や・・・ あの人こそが・・・
自分が成長するための テスト問題を出題する
その役目を 担ってくれた人だったのだと
そして 「あの人にさえ 出会わなければ・・・」
と 後悔することになった その 原因は
他のだれでもない 自分自身が そのテストを
しっかりと受け止めて 乗り越えなかったからなのだと
決して 明るい 楽しい旅では ありませんでした
悲しかったこと 悔しかったこと 屈辱的な体験
いま思い出しても 怒りが湧き上がってくる思い出
でも そんな経験の どれ一つとして
わたしを陥れ 不幸にするために
用意されたものではなかった
すべてが わたしのために 特別に準備された
オーダーメイドの プレゼントでした
とても大きな 輪の中で
わたしたちは 生きているのです
ありがとう 何もかも みんな ありがとう

ここに書かれていること、私も全てその通りだと思います。 仏教の四苦八苦の教えの中にも、
「愛別離苦」や「怨憎会苦」の教えがしっかり入っているのは、愛する人との別れや、苦手な人との出会いを通して、何か大切なものを学びなさい、という神様の意思がありからですよね!
ただ、問題から逃げてしまうだけであれば、せっかくいただいたこの命、この人生、もったいないですよね。
そして、人生の中で起こる問題は、自分で選んできたものではないかと思っています。 人との出会いは不思議ですが、偶然は一つもないのですよね。 >何もかもすべて
自分より はるかに 大きな大きな 無限の愛と叡知が
無償で プレゼントしてくれたもの 全てはこの一言につきますね!
こんな素敵な詩を読ませていただいて、本当に嬉しかったです!ありがとう、たびたまさん^^!!!
昔のことを思い出していたら こんな詩を書きたくなってしまいました
>人生の中で起こる問題は、自分で選んできたもの
ほんとうに そう思えるかどうかで 人生はがらりと変わりますね(^ ^)
人生の早い時期から そのことに気づけるひとは なんて幸せでしょう
たびたまは これまでずっと 落第続きの人生で・・・(笑)
これから先も たぶん 同じような課題を
繰り返しプレゼントしていただくことになると思いますが
何年留年しても ちょっとずつでも 進歩していければと思います
私はそんな経験が薄く、えらそうなことを入れる立場じゃないんだけど…(^_^; たびたまさんの言う感覚に似たものが、自分の中にもあるような気がします。
過去を振り返れば、私ように作られた大切なものの様な気がしちゃうんですよね。そりゃ、悲しい出来事もあって、たくさん凹み泣いて、どうしようもなく荒れたり、ひきこもったり…まっ、いろいろありましたが。 まだ、私の中に残ってるつらさとか悲しみとかふと思い出すことがあって、この間、ふいに理由を考えてみたんです。そしたら、その出来事って大概向き合うことを止めて、逃げたのかきっかけだったりするんですよね。 私はたびたまさんのように、苦労とかしてないので、えらそうで申し訳ないですが…(汗)
自分の道は意味があったと、今はそう感じています。
なんちゃってヾ(´▽`*;)ゝ
住む家もあったし 飢えることもなかったし・・・
ただいろいろあって暗かっただけ(笑)
いってみればワガママです(^ ^)
いろんなことに一生懸命向き合ってこられたヒロヒロさんは
わたしの先生ですよ♪
人を責めたり何かを恨んだりするのじゃなくて、全て自分への試練であり、それを乗り越えることが成長できるチャンスなんですよね。
私もやっとそう思えるようになりました。
こう考えれば、逆に自分を責める事もしなくなります。
何でも自分の心の持ち方で変わります。
そのことに気付くまで・・・私は遠かったなぁ。
・・・と、偉そうな事書いてるけど、いつもいつも感謝しながら過ごせてるわけでもなく・・・悩みながら迷いながら生きてます。
先日の改行タグの件、ありがとぅございました!
今日はしつこくタグいれてみました(笑
>人を責めたり何かを恨んだりするのじゃなくて
だれかのせいにすると 自分が逃げた・努力しなかった
という現実から 目を背けることができるんですよね
たとえ 自分には非がなく 運が悪かった と思うことでも
運命を責める前に まずすべてのこだわりを捨てて
自分よりひとのことを思い 虚心で立ち向かっていたら
もっとよい結果になっていたはず・・・と
今になって納得することが 山ほどあります
何十年も回り道をしましたが 今からでも
課題をやり直すのに 遅いということはありませんから
頑張ります(^ ^)
でもあんなことがなかったら…とチラと考えてしまうことも時々あります。
まだまだ修行が足りないぴーです。
たびたまも 気づいては チラ 気づいては チラ の繰り返しです(笑)
それでも・・・ぜったい 前に進んでるから♪ ボチボチとですけど(^ ^)
人生を自分で築いていく機会が先にあるということを喜ぶべき。
まさに 人生は喜びの連続ですね(^ ^)
運命を感じたり、それは必然からなのだと思えてくる・・・
つまり、どんなものにも意味があるってことで
出会いを大事にしたり、その豊かさに気づくのかもしれませんね♪
たとえば仕事のやり方とか 生活の中のほんのちょっとした習慣にも
とうに忘れてしまった だれかとの出会いが きっかけになっていることがあります
犯罪捜査じゃありませんが(笑)
人と人とが関われば 必ず何かしらの足跡が残るのですね
生まれたときから死ぬまで修行なのでしょう。
それを苦行と思うか、ステップアップだと楽しめるかの違いかもしれません。
いろんなことがあって当たり前
だけど
苦しくて、辛いこともたくさんあります。
なぜ、母が病で苦しまなくてはいけないのか、とかね。
それを修行だの前世うんぬんで済ませてしまうのは酷だと思うので、答えは見つかりません。
健康な人間にはわからない辛さがあるはずですからね。 でもね
それを踏まえて人生捨てたモンじゃないと、少しでも笑顔の時間が増えたらいいと思っています。
人間は神様ではないのだから、どんな状況でもいつも前向きでいる必要はないと
苦しかったり悩んだら、少し休んでみっともない泣き顔見せたっていい。
休み疲れたらまた歩き出せばいいと。 たびたまさんの言うとおり
いい思い出も悪い思い出も、生きているからこそ感じられる宝物なんだろうと。
永遠に比べたら、一瞬に過ぎない自分の人生
大切な人とたくさんの思い出をつくりたいです。
たびたまは 「業」という言葉を使うのは 好きではありません
言葉の本来の意味がどうかはともかく 慣用的に
前世で悪いことをしたから今世で償わされているとか
バチがあたった みたいな・・・マイナスの響きを感じてしまうので
ただひとつ言えるのは 人間 生きていれば だれでも
その人にしかわからない 苦しみがあるし
また 喜びもある ということです
そして その人の人生は その人にしか生きられない
だからこそ 梅吉さんの
「それを踏まえて(中略)少しでも笑顔の時間が増えたらいい」
というお考えは とても素敵だと思います
お母様は きっとたいへんな苦痛の中で
歯を食いしばって 頑張っていらっしゃるのだと思いますが
梅吉さんのような娘さんをもたれたことは 間違いなく お幸せです
たびたまも 母に対して そのような娘でありたいと思います(^ ^)