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2007年09月05日

ママと 《姉ちゃん》と パパと たびたま

旅する魂(たましい)
下線のリンクは 関連する過去記事にとびますので
ぜひ そちらも 読んでみてくださいね
by たびたま

前回に 引き続き
ママのつきそいをしていたときの 話を
もう少し 書こうと思います

 
ママは 早くに 両親を亡くし
身よりといえば たった一人の 《姉ちゃん》だけでした
 
《姉ちゃん》は とても しっかりした 強い人で
両親亡きあと 身体の弱かった妹の 唯一の保護者となり
また 結婚後は 夫を早くに亡くし
看護婦をしながら 二人の息子を 育てあげました
 
そんな 強い強い 《姉ちゃん》に
守られて 育ったせいか?
ママは あまり 生活感のない 人でした
 
末期の 乳ガンで 入院中の ママに
たびたまが つきそっていた ころ
《姉ちゃん》は ときどき
仕事の 合間を縫って
病院に 顔を出して くれました
 
当時 ママが 60代半ば
《姉ちゃん》は 当然 それより 年上ですが
まだ 現役の 看護婦(当時は そう呼んでいました)として
地元の 精神科病院で 働いていたのです
 
(パートの看護婦 という 感じだったのでしょうか
詳しい勤務形態は よくわかりませんが
とにかく その後も かなり長い間 「現役」でした)
 
ある日 《姉ちゃん》が 来てくれたとき
ママは ぐっすりと 寝込んでしまっていました
その日は 「痛い 痛い」と いうので
モルヒネの量を 増やしてもらっていたのです
 
 「すみません さっきまで 起きていたんですけど」
 「ええ 構わんよ」
 
《姉ちゃん》は
薬のために ゴーッ ゴーッ と
大きないびきをかいて寝ている
妹の顔を 一瞥(いちべつ)すると 
 
 「こりゃ まだまだ 当分 死なんよ
   わたしゃ ようけ 見ちょるけ よう 知っとる
   ここから先が 長いそ
   あんたも 慌てて来んでも よかったのに」
 
と 言いました
 
たびたま 絶句
 
「ママが 危ないんじゃ
 もう どうなるか わからん
 一刻もはよう 来てくれ」
 
という パパの電話で
 
「すわ 危篤?」
と 慌てて 東京から かけつけたのです
(当時 東京都下の 田舎町に 住んでいました)

 
 「あの人(パパ)が 呼んだんじゃろ
   おおかた 自分が 面倒みて
   もらいたかったんじゃろう」
 
たしかに(笑)
そのとおりだったかも しれません

 
妻が 病気になったときの 男は
弱いものです
 
亭主関白の 夫の 多くは
精神的に 妻に 依存しています
 
妻が 病気になったとき
そんな夫の リアクションは
「困惑」 「苛立ち」 そして 「怒り」です
 
具合が悪くて 寝てばかりいる妻に
「家事をしない」
などといっては 怒りをぶつけます
 
ママが たまに 一時退院で
自宅に帰ってくると
しばらくは ベッドで休んでいるのですが
そうしていると パパが すぐに 機嫌が悪くなるので
気をつかって 無理をして
お台所に立って 家事をしようとして
そして 容態が急変して
家に帰って 何時間もたたないうちに
また 病院に逆戻り
なんていうことも ありました
 
もう 一時退院すら できなくなり
ものを噛む力も なくなってしまったママに
つきそってはいても
何を どうしてやればいいのか わからなくて
 
プリンを スプーンで 食べさせようとして
男の手では なかなか
上手に 口に入れてあげられなくて
ママも 器用に吸い込んだり 飲み込んだり できないものだから
ダラダラと 口の端から こぼれて
それに怒って
「汚い!」
と 癇癪(かんしゃく)を起こしたりして
 
パパは きっと 怖かったのです
ママが 以前のママで なくなってしまうことが
 
不安で不安で 仕方がなくて
誰かに すがりつきたくて
たびたまを 呼んだのでしょう
 
だけど たびたまは
そんな パパの期待に
じゅうぶんに 答えてあげられたかどうか

 
たびたまも そのころ
精神的に キツイ 時期でした
 
ママの病状が どうしようもなくなってからというもの
家族のあいだは ぎくしゃくして
パパの世話も ママのつきそいも
孤軍奮闘 という 感じで
 
それが なおさら
ひとりで「いい子」の役を やっている たびたまを
孤立させていました
 
そんな中で
パパに頼られることが 重たくて
胃に 穴が空きそうでした
 
病院から帰って 夕食の支度をして
パパと二人の 食事をして
後かたづけを済ませて お風呂に入って
ひとりになると そっと 家を抜け出して
自動販売機で お酒を買ってきては
アルコールで 気を紛らわす毎日
 
そんな 危うい 精神状態だったから
ママにつきそっているときも
表面は ともかく 心の中では
ネガティブな感情が
ずっと 渦巻いていました
 
そんな中で 救いは
ママが 熱心なカトリック信徒だったおかげで
死に対する 恐怖を 抱いていなかったこと
 
目を覚ますと よく回らない 舌で
ママが 訴えるのは
「痛い」とか「(酸素マスクを)外して」とか いうことの他は
家族のことや
自分が死んだあとのことを
心配する 言葉でした
 
 「あんた もうええから はよう帰りなさい
   子どもが 寂しがって 泣いちょろう」
 「うん 大丈夫 大丈夫
   ちゃんと 見てもらってるから 大丈夫よ」
 
ママは 朦朧(もうろう)とする 意識の中で
たびたまのことを
長男のお嫁さんだと 思い込んでいたようです
 
 「お墓が・・・」
 「うん?」
 「お墓が・・・上じゃから・・・
   運ぶのが・・・えらいじゃろう
   だれか・・・手伝うてくれる人が おるかいね」
 
「えらい」というのは 山口の言葉で 「大変」という意味
 
パパの実家のお墓は ひなびた田舎の
山の 上の方に あったのですが
ママは たぶん その山の上の お墓まで
自分の遺体を 運んでいく 光景を
思い浮かべていたのでしょう
 
ママは ちょっと 太めだったので
重たいからと 心配したのかも しれません(^ ^)
 
 「大丈夫よ ●●さんも ××さんも
   手伝うて くれてじゃろう
   みんなで 運ぶからね
   心配せんで ええんよ」
 「ほうかね」
 
「火葬だから 遺体を お墓まで運ぶことは ないし
家を継いだのは パパの弟だから
ママのお墓は パパが 新しく建ててくれる」
というような
ママが すでに知っている 理屈を 説明しても
あまり 意味がない 気がしました
 
こんなふうに 死ぬことや 死んだあとのことを
遠慮なく 話せたおかげで
どうにかこうにか たびたまは
ママと ふつうに 接していられたのです
 
けれども そのあと
もともと 頼りなかった
たびたまの 辛抱の つっかい棒は
ポキンと 折れてしまいました
 
ママが 旅立った あとも
自分のことしか 考えられない日々が
何年も 続きました

 
病に冒された身体に 縛りつけられていた ころから
ひょっとしたら ママの 魂(たましい)は
たびたまの 心の中が お見通しで
自分勝手な プライドに がんじがらめになって
頑(かたく)なに なっていた たびたまを
可哀想に 思っていてくれたかも しれません
 
自由な 魂(たましい)になった いま
ママは どんな気持ちで
たびたまを 見ているのでしょう
 
「ごめんなさい」
ママを 思うたびに 心に浮かぶ言葉は いつも同じ
 
まだまだ 心からの 償(つぐな)いが
できないでいる たびたまです
 

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コメント

たびたまさん、こんにちは
うまく言葉にできないです...たびたまさんほど
大変な思いはしたことないので
同じにしちゃったら申しわけないですけど。
…私もそうだなって思いました。旦那が短い間だけど入院したとき
義理の両親・お姉さんとかのやり取りで…「いい子」をしている
自分だけがしんどいそんな感覚になった事を思い出しました。
たびたまさんは
いろいろ後悔されてるみたいだけど…
自分の周りの人がなくなると…「もっと、何かしてあげたらよかった」とか何か後悔が残るものなんだろうなって思います。
最後まで看病されたたびたまさんは
それだけで十分、立派だなって私は思うんですけど…。
コメントありがとうです。
たびたまさんもペーパーなんですね...たぶん、私より運転はお上手だろうと思いますが…(笑)

ママさんの看病でたびたまさんはそんな大変な思いをされていたんですね。東京に自分の家族を置いての看病はどれだけ体に負担がかかり、また神経をすり減らすことだたでしょう。お優しいたびたまさんだから、あちらにもこちらにも気を使ったことでしょう。
たくさんたくさん尽くしたからこそ、まだできたのではないかと後悔もわいてくるのかもしれません。がんばったたびたまさん、十分自分を誇っていたわってご褒美を!といいたいです。

こんにちは
大変な思いをされていたんですね
付き添いをしていて、お見舞いに来られたかたから
『大変でしょ?』って言われて
『一番大変なのは本人ですから・・・』と答えていました
どうなんでしょう・・・
複雑です

どっちも それぞれ大変ですよね~
でも どちらの立場になっても
相手の大変さを思いやる気持ちを忘れない
というのが 肝心なところだと思います
by たびたま

「心からの 償いができないでいる」
この言葉が、胸に突き刺さります。
どうしても、父と自分におきかえて考えてしまい、涙が出てきます。

コメントありがとうございます。すいません。忙しくて・・・でもバトン興味あります。また教えてください。ごめんなさい。今度ゆっくりコメさせていただきます。

たしかに男の無力さというのは頷かされます。
でもできないのは気持ちの問題なんですよね。
何年か前、大阪圏のとある市町村長さんが奥さんの介護をすると言って辞職したことがありました。

頭が下がります
以前なにかのTV番組で
まだ働き盛りの若い男性が
お父さまの介護をなさるために会社をやめた
というケースを拝見しました
人それぞれ事情がありますが
なかなかできることではありませんね
by たびたま

うーん…
わたしはたびたまさんは良くやっておられたと思いますよ。
お母さんの面倒を見てさらにお父さんの面倒まで見て平常心を装っていられるというだけでも、普通なかなかできることではありません。
でも、だからだと思いますよ。
ママがたびたまさんに『死ぬことや 死んだあとのことを
遠慮なく 話せた』というのは、信頼があったからであり、看病に対して心が通じていたからだと思います。
どうか、あまりご自分を責めないでください。

生前もっと大事にしておけばよかったなあ
と思うときがあります。が、結局は自分のことばかりで(^^; 
これでは自分があの世に行ったとき、どうなることやら
心配で・・・ ←また自分(地獄行きでしょうか、ひえ~)

この世で頑張ってることが 親孝行(^ ^)
by たびたま

今日のお話、読んでいて涙が出そうになりました。
病気の人の付き添いをするというのは、精神的にも、体力的にもものすごく、力が要ることだと思います。
たびたまさん、とても頑張られたんだなって思いました。

病気じゃなくても、、困ったことがあったら、親子も、夫婦も支えあわなくてはいけない。でも、今、うちでは、旦那がとても困っているのに、、精神的にとても苦しい思いをしているのに、、、私はそんな旦那を支えるどころか、感情の同調みたいなものを起こして、一緒に調子が悪くなっている。
なんのための、妻だろうって情けなく思いました。

「ごめんなさい」この言葉は、お母様に、充分伝わっていると思いますよ。
心からの償いが、できていないとおっしゃっていますが、そういう気持ちも含めて、お母様に、絶対伝わっています。
そして、きっとお母様は、そんなたびたまさんをみて、「ありがとう」って温かい気持ちで、いらっしゃると思いますよ。

なんだか、生意気な言い方だったら、すみません。
わたしも、いざと言うとき、誰かを支えられる人に、なりたいです。

こんばんは♪
魂ってなんでしょう
エフは友達や家族に死んだら死後の世界が
どうなってるのか絶対教えてと頼んでます
エフが先に死んだら逐一報告するからと言ってます

今ヒットしている千の風になってという歌では
魂は風になってるようです
墓参りをしないというわけではありませんが
お墓にはいないかなと思ってます

人はみんな死んでいくのですがまだまだ
遠いことのようであんまり真剣に考えたことがありません
身近な人の死に直面してないということもあります

辛抱のつっかえ棒が折れてしまったたびたまさん
つっかえ棒なしでも立てるようになったのでしょうか
おかあさんが側にいてくれるような気がします


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(もちろん ブログがない方のコメントも 大歓迎です)   by たびたま